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〜・おかみさんの日記・〜




(まるこ‥h17.11.3撮影)
(京都の伏見人形と浅草の今戸人形)
(左側が「ギン」、右側が生前の「キーコ」 おとなしい猫でした)

                                                   
 【 女将の同窓生リンク集 】
ジェームス三木のオフィシャルHP http://homepage2.nifty.com/jeimusumiki/

【19】







【18】
もう1年も書いていなかったのですね。
今日は昼前から降り出した雪も今は大雪になり、春の重い雪なので、明日の雪かきが憂鬱です。
ギンも23年目のお正月をむかえますます元気で、夜中にストーブが消えるとうるさく泣くので、しかたなく起きて灯油をいれ、また火をつけると静かに寝ますzzzz
先週3年ぶりにスキーをしました。快晴で暖かくとっても気持よかった!レベルは?阿部ちゃんチームごめんなさい。
男子卓球をみながら、今ロシアのスミルノフに勝って2−1。終わるまで観よう。


                             (平成20年2月26日 記)

【17】
 温暖化の影響でしょうか、今年の乗鞍はお天気がよく暖かい日が多いです。
 晴れた日は友人と一の瀬や善五郎の滝を歩いています。
 昨年末にキーコが亡くなり、今は22年目に入った雑種のギンがよたよたしながらも元気でいます。子供の頃から色々な生き物を飼ってきましたが、もう飼うのは終わりにしようと思います。犬、猫、にわとり、二十日ねずみ、熱帯魚、いろんな小鳥、全部重なったときはもう大変。猫は上手に金魚をすくい、インコは逃げ出し、犬は出産、二十日ねずみは全部(12、3匹はいたと思う)蛇に飲み込まれるなど、てんやわんやでした。でも最後にトラの子を飼ってみたいとおもいますが、これは夢で終わりそうですね。


                            (平成19年2月24日 記)

【16】
 短い夏も終わり、季節のクライマックス、全山華やかな色に変わろうとしています。八月には士と匠が元気な顔を見せてくれてとってもうれしかった。正月にはスキーに来るよう約束しました。チエちゃん、大一勢君と一緒に滑れればいいね。
 今、高原一帯に熊が出没していて、友人の家のスモモの実を毎日食べに来ていました。母熊は蜂蜜をいただいたようです。『今、木に登っているから早くお出でよ。』と電話があり、見に行き一時間くらい美味しそうに食べていました。細い枝の実は揺すって落とし、木からおりて食べ、そのうち日が暮れて帰って行った。可愛い小熊だったので近くで母親が見ているはずです。そういうのを見ると元々ここは熊の生息地で、人間が後から暮らし始めたので、有害動物と決めつけるのはどうでしょうか。確かにあの爪で一掻きされたら大怪我をしますが、熊の身になれば『わたしたちの食事処へ来るって、いけないこと?あなたたちはだれ?。私たちの食事を盗らないで』って思っているかも。山には熊さんの好物を残してあげて!。人間は他にいっぱい食べる物があるのだから‥。

                            
(平成18年9月16日  記)

【15】
 入梅前のおちつかない天候のこの頃、乗鞍は『わらび』がたくさん出ています。5月1日に事故に会い、まだ山には入っていませんが宿の周りで採っています。猪谷レクレーションランドから一の瀬園地の間に熊が出没しているとのことで、一人での山菜取りは危険です。
 先日ラジオで、中国の砂漠から飛んでくる黄砂の被害(喘息、飛行機の航行)を軽減する為に、日本が二億円か三億円かは忘れましたが、無償援助して砂漠に松などの木を植えることにしたということです。それを聞いて直ぐに疑問。研究している人達の正確な数値は知りませんが、砂漠に木を植えて偏西風にのって飛んでくる黄砂をどれくらい軽減できるのでしょうか。(大きくなるのに何年かかるの?、砂漠で育つの?)
 私は被害よりも、黄砂にロマンを感じてしまうのです。シルクロードの砂が風にのってやってきて、真っ白い雪が黄色に変わる、ああ春が来たな〜と。
 かつて栄えた都市も砂に埋もれてしまうくらい自然の脅威を、人間の知恵でどうにかなるものなのでしょうか。
 他にもいろいろ疑問、オブジェクションがあり一人でブツブツ言ってしまいます。こんなことを思う私は変でしょうかね〜。

                           (平成18年6月11日  記)

【14】
 今年も一ヶ月をすぎようとしていますが、暮れから連日テレビで、偽装だ、偽計だと世間を賑わせていて、雪に埋もれた日々をBGMかドラマのように見ていて、ああ世の中こういう(いろ、もの、かね)欲望への執着の繰り返しなんだと、新年から暗雲たちこめています。
 旅館といっても、女将であり、料理人、清掃係、施設管理係、事務係でもある山奥の小さな宿で、食べて行くだけでも大変な時代、息子と同じ年の人が、何千億
という金額を動かすと言うことはうらやましい話でもありました。それに、「お金があれば何でも買える」ということも、この年になると納得することも多々ありますが、若者はそんなこと思ってはこまりますね。
 以前子供に「松井や、イチローのような息子がほしいなー」と言ったら、「自分にばっかり使わないでもっと俺たちにお金かけて育てろ」と言い返されるような、お粗末な家族で、大金とは縁の薄い世界で生きている私が某氏に言ってあげられること、まだ若い、今度は大道を闊歩せよ!と。必ず応援してくれる人がいるでしょう。
 この社会の価値観、少し文化、暮らしに目を向け、物、物事を見極める真贋の目を養うことも大事なのでは。

                            
(平成18年1月27日  記)

【13】
 17年飼っていた猫のまるこちゃんが、15日に死んでしまいました。
生まれた時は一番弱弱しく、お乳はいつも最後にありついていたのが思い出され、それとともに色々な場面がうかんできます。
 まるこの母親(染子)は、初めての出産で、どうしたらいいのかわからなかったのでしょうか、明け方から部屋のあっちこっちで生み、おろおろしていて、私も同じで、清ちゃんにすぐきてほしいと電話をして、朝早くから赤ちゃんを探し7匹いることを確認しましたが、体が冷えきっていて動かないので、こたつのヒーターの下で二人で手にもって温めているうちに動きだしたので、お乳を吸わせてやりほっとしたのが映像になってやきついています。
 よちよち歩き始めたころには、ポケットにいれたり、ふところに7匹いれたりして、とっても楽しい時でした。息子たちも可愛がっていたのに、いまでは「まだ生きてるのか」と言ったりして冷たいものです。
 その後染子は何回か出産しましたが、ちゃんと一ヶ所で生みお乳をのませていました。今は、まるこの妹の「きーこ」と雑種の「ぎん」の二匹になってしまいましたが、ぎんは19年、きーこは16年、あとどれくらい生きてくれるのでしょうか。
 まるこちゃんのお爺さんは真っ白のペルシャ、お父さん(きん)はゴールデン、染子はシルバーなのにまるこは茶と黒のふさふさした毛のとっても可愛い猫でした。

                             
(平成17年11月19日 記)

【12】
 
 おひさしぶりです。
 乗鞍の短い夏を満喫しています。先日、毛布だけで寝てしまい、明け方寒くて
 カゼぎみです。6月末の沢渡の土砂崩落で、観光センター付近は、上高地への
 基地となりいつになく賑わっていましたが、28日から静かな高原にもどっていま
 す。乗鞍は、このゆったりした雰囲気がいいですよね。先日、東京で「いい旅夢
 気分」で乗鞍高原が放送されたそうですが、みなさんも早く避暑にきてください
 。
 このごろ、自分を客観的にながめることがあります。人生の荒波(ここでは強風
 )の中で、それらを避けることがうまくなったものだ思いつつ、それは私の本質と
 は反対のもので、それがストレスの主たるものではないかと思うことがあります
 。
 年をとっていくということでしょうね。若い人(何才?)は、自分のことについて、
 思ったこと、考えたことは躊躇なく行動してほしいとおもいます。私は失敗という
 ことを考えたことはありませんし、成功ということももちろんありません。
 すべてキャリアとして、次へ続く、苦しいけれど淡々と。刹那的でしょうか。
 幸福かそうでないかということは、基準がないのでわかりませんが、日常の中
 で、瞬間楽しいことはたくさんありますが、悲しい人生だったようなきがします。
 友達にそういうと「あんたがそんなことあるわけないじゃない、自由に生きてい
 るのに。」と一笑されますが、私はそうおもいます。
 これからは、いろんな意味で安住を求めようと考えるのですが、身についた
 デラシネ人生どうなるでしょう。
 今読んでいる本は「翔んでる警視U」ちょっと問題あり?「華やかな醜聞(スキ
 ャンダル)」よりは・・・・・・。
 
                             
(平成17年7月30日 記)
【11】
 
 季節、心身共に長い冬でした。日記にもいろいろ書いてみたかったのですがもう少し整理してからにしましょう。
 我が家は宿屋なのですが、ご存知の通り今では連休か御盆、正月以外は休んでいるような日々で、山の生活はゆったり流れる時間の中でスローライフそのものであるのですが、収入もないので苦しくもあります。それでも4月は10日に高校のクラス会で京都へ、27日は上高地の開山祭、30日は長男の嫁さんのお母さんの一周忌で東京へと出かけて行きましたが、都会も好きです。京都は丁度桜が満開で、木屋町に沿って流れる高瀬川の辺を皆で歩いて一時40年前に戻ってきました。40年も経つと人生百人百様。はっきりしていることは結婚する相手によって大きく変わるということです。どんな不満があろうとも今いるところが一番いごごちがいいと言うこうとになるのでしょうか。よくわかりませんが‥。
 本を読む時間はたっぷりあるので何冊か読みましたが、「宮本 輝」の『草原の椅子』はとてもおもしろく読めました。5月は外の仕事が待っているので、体力が続くか心配です。5月22日の「すもも祭り」は当番ではないので、皆様と一緒に宴会できますよ。是非お出かけ下さい。


                             (平成17年5月7日 記)

【10】

 年が明けてもう一ヶ月になろうとしています。大晦日の大雪で、一の瀬の入り口にある橋のところに通行止めのための雪が2mくらい積まれ、一人で泊まっていたお客様の車が夕方には帰れなくなり、バックもできなくて一晩そこに置いて、元旦の朝から常連様2組と一緒に、スコップ、コンパネ、ロープなど持って車の救助に行きました。悪戦苦闘の末、脱出出来た時には皆で拍手、『やったー!』と声を上げ、『変な充実感だな〜』と言い合いました。
 そこへ行くまでに喫茶キャビンから車一台通る分だけ除雪してありUターンできないのでバックで現場まで行かなければなりませんでした。それにしても、31日の昼頃まで道路には全く雪がなかったのに、午後から前が見えないくらい雪が降り積もり、突然の通行止めにはお客様もびっくりしたことと思います。池山さん、横山さん、ご家族の皆さん、車の遭難救助有難うございました。
 松本からJAFを呼んでも同じことをするしかありませんから〜『残念!』。それに年末の大雪で松本でもあっちこっちで要請があったようで、電話してもなかなか来てもらえそうにない状況でした。年末までの雪不足がうそのようでした。

                                      (平成17年1月29日 記)

【9】

 信州の冬にかかせない野沢菜漬け、今年もはじまりました。白菜と野沢菜を3cmくらいに切って漬ける「切り漬け」と、野沢菜をそのまま塩漬けにする「長漬け」は、どこの家庭でもつくります。あとは、たくあん、白菜、赤かぶ、などが一般的で、食事のときはもちろん、3時、10時のお茶のときにも出てきます。
こちらに来た頃は、おやつの時に御漬物がでてくることにびっくり、それだけでなく、お菓子やくだもの、煮物などたくさんならび、家の人やアルバイトも一緒にお茶を飲むことが習慣でした。若い頃はそんなじかんより、ふらっとその辺を歩くほうがよかったのですが、「これは決まりだから」と言われ少々不満に思ったこともありました。・・・・・・今では時間に関係なくどっぷりなじみ、別の意味で歩いた方がいいようです。
 
                             
(平成16年12月2日 記)

【8】

 昨日の台風で、158号線も役場から安房トンネルまで通行止めになっていましたが、「帰宅なら気をつけて」ということで通らせてもらいました。
夜10時30分頃で、トンネルは電気が消えていて,村の消防車1台にすれちがっただけでした。約25kmの間 May Way?だったのですが心細く走ってきました。そのような時に突然前川度トンネルの入り口で、大量の泥水が車に跳ね上がってきて、車も心臓も止まりそうになりました。
 トンネル内は土砂といっしょにいきおいよく流れていて、ここで車が止まったら「こんなところから歩いて(2時間)帰るなんてとんでもない」という気持でハンドルにしがみついていました。いつもならあっという間に通過するところなのに、なんと長かったことか。やっと橋を渡れるとおもっていたら、その橋の上も同じ状況でまたハンドルににしがみつくことになってしまいました。
スバルの車は雪道には絶大なる信頼をしていますが、泥流は初めてで不安でしたが安定して走ってくれました。
 家についてライトに照らされた紅葉した木々を見ると別世界に来たようでした。
その道路は、土砂崩れで今日の午後1時まで通行止めでした。ああこわい!
 
                           
   (平成16年10月21日 記)   
【7】

 今日から8月、乗鞍が一年でもっとも賑わう季節になりました。
 朝夕の気温が15〜16℃くらいで、お客様から「ゆっくり眠れましたよ」と言っていただくのがなによりうれしいことです。日中、外の陽射しが強くて暑く感じますが、日陰や家の中に入れば乾燥した涼しい空気で快適ですよ。心身を休めようと思っているかたは、夏休み中滞在して気ままに過ごされることをお勧めします。上高地、乗鞍岳を歩いたり、一の瀬園地でひがら過ごし、せせらぎの湯でゆっくり温泉につかり、夜は降ってきそうな星をみる。もちろんわが宿の食事も応援しますよ。長期滞在が無理で、一泊で通過せざるをえない方は、乗鞍山頂付近は是非歩いてみてください。畳平バスターミナルのみたらし団子が私は大好きです。標高2800mの肩の小屋で食べるうどんもおいしいですよ。
 
 昨日までは、家の修理や周囲の手入れで忙しさはありましたが、時間に追われることのない仕事なので、芝木好子の『築地川・葛飾の女』を読み終えて、私も昔そんなこともあったな〜と思い出したりしていました。美術・芸術しか価値観をみいだせず、かといって才能もなく将来何をして生きていくのか?、なんてことも考えていたころのことを。
 私の絵の先生は立派な方々でしたが、私には乗鞍の方がより魅力的だったのでしょう。そのひとつ、夏の気候は重要な要素でした(単純でしょ!)。他にも大きな魅力を感じていましたが、いずれこのページでお話ししてみたいと思います。
 それにしても乗鞍に来てから今までを振り返ると、薄氷に足や体まで落ちたりしながら生きてきました。今もかわりませんが‥。それでもこの雄大な山々、いろいろな人々と暮らせてきたことが幸せだと、この歳になって思います。

                                       (平成16年8月1日 記)
 

【6】

 この所睡眠不足なのに、昼寝をしなくてはいられないこともないと言うことは、体力を消耗していないのでしょうか。夕食後、ごろごろしているうちに少し眠ってしまったようで、電話の音で目が覚めてからは眠れなくて、ウィンブルドンテニスを見て終わると、「視点・論点」、「日本色風景」、美しい映像を見るともなく見て眠ろうとするのにとうとう夜が明けてきて、ニュースが始まりまた一日が始まるという、そんな日が続いています。
 5月19日に怪我をして、現在も入院中のこの宿の主でもある次男のことで最初は心配で眠れないこともありましたが、今は親としての心の整理もできこれからの人生しっかりした気持を持って生活してもらいたいと願うだけです。右手の甲から指にかけて損傷し、今後動くことはないということです。信州大学付属病院の手の専門の医師チームに恵まれ、治療を受けられることに感謝しています。事故後しばらくは、「綺麗に直ってよかったね」と喜んでいる夢を見ましたが、もうそんなこともありません。今後、宿はどうしていけばいいのか良く話し合わなければなりません。私が元気で働けるうちはいいのですが、士や匠が大きくなるまで20年もあるので、それまでは皆さんに助けてもらいながら宿を続けたいと思っています。
 6月中は匠も入院するなど、宿は休まざるをえない状況でした。多分に電話がつながらない日々(病院の付き添いなど)があり、皆様にはご迷惑をおかけしましたが、7月からは宿らしくなりそうです。次男の退院はまだ先ですが、多くの方のお見舞いありがとうございました。

                               (平成16年7月3日 記)

【5】

 今日は一の瀬園地で乗鞍高原開山祭すもも祭り。
昨夜からの雨で、お客様も少なく、20、21番地区は、山菜天ぷら担当なので皆で1000人分の山菜5〜6種類を取りに行ったり、小屋を作ったり準備していたのに残念でした。それでも大きな天ぷらなべ4つに8人で3時間揚げつづけ、帰って来てもごま油のにおいがとれません。他に手打ちそば、川魚、いくら飲んでもよい樽酒などがあり、地元の小学生のスク−ルバンド、太鼓演奏の中、のんびり春の山を楽しんでいただこうということなんですが。
              
 この日でなくてもバ-ベキュ-コ-ナ-で楽しめますよ。大阪の西口さんファミリ−は毎年夏休みにここで水遊びをしながらお昼をしています。つかさくんは、西口さんちのリカちゃんが好きみたい。3歳年上のなにわ美人のお姉さん。 平和な一日でした。 が・・・・・・乗鞍も、市町村合併や他にもいくつか問題をかかえていて、先はみえません。山はそんなことの材料にされるために存在しているのではないのですが、山があっての生活なので、これからどう暮らしていくか考えて解決していかないと
 行政側の都合であってはいけないと思います。                   
                              
(平成16年5月17日 記)     

【4】

 木の芽時の体調は年齢と共に不安定になり、先日、めまいが3時間くらいつづき、気分が悪かったのですが旅館組合の総会なので歩いて出かけました。総会後は慰労会で、飲みはじめればそれなりに?飲めて何事もなく終わりましたが、こういうことがあると身の回りの整理をしておかないと、と思いませんか?。見渡してみるとほとんどがゴミにみえてきます。少しばかりの思いでのもの以外は、今後日の目を見ることはないでしょう。まして2〜3年着ていない洋服はもう時代に合わず処分を待つばかりです。着物はたんすのこやしなので大事にとっておこう。書類は整理し(特に友人、知人の住所)誰でも分る所に置いておく。アルバムは、2年前に1冊にまとめ、目でみる「女のー生」になっています。
 伏見人形の黄色いきつねはいつも見えるところに立たせておきます。
 あとどのくらいの時間が残っているのかわかりませんが、この先何が待っているのでしょうか?。
 そんなことより、 乗鞍高原にもさくらが咲き始め、この連休には素晴らしい景色が見られますよ!湿地や池の水芭蕉の花も咲いています。春はパステルカラー、冬のモノトーンまで色の変化を楽しみましょう。

                              
(平成16年4月22日 記)

【3】

 暑さ寒さも彼岸まで、ほんとうにその通りで、乗鞍の長い冬もようやく終わります。雪どけの川面には、あおあおと「セリ」が育っていておいしそうに揺れています。今夜の我が家の食事はもちろん、「ふきのとう」と「セリ」の天ぷら、「セリのおしたし」、「ふき味噌」。友人の清ちゃんからの煮物、了子さんからのお漬物、湯けむり館の山崎さんから「いかなご」の釘煮。春ですね!。
 木々の芽ぶきは5月の連休のあとで、それからは次々と木の花が咲き始めます。白いすもも、こなし、山桜、おにつつじ、そして山野草、山菜も。
 車でみてまわるだけでは、この素晴らしさは体感できませんよ。
 ゆっくり時間をかけて乗鞍を楽しんでください。

                                      (平成16年3月26日 記)

【2】

 今朝の気温は−9℃。快晴。
10時頃、友人のペンショングルンハウゼへお茶をのみに出かけましたが、長話をしてお昼になってしまい、そのまま昼食をいただいてきました。おいなりさん、豆もちを揚げたのと、おうどん、お漬物・・・・・いつもながらごちそう様。
 11日には鈴蘭小屋(小屋とはいっても温泉の湯量たっぷりの、乗鞍高原で最初の旅館です。)へ手伝いにいきます。南極観測越冬隊の訓練で、もう40年以上乗鞍にきています。私が冬のアルバイトに来ていたころは、中腹にある雪におおわれた位ヶ原山荘に泊まって越冬訓練をしていました。最近の南極基地は快適らしいです。お客様のいない日の方が多いのでこんなことをして暮らしていますが・・・当然生活はたいへん。忙しくて困る生活もしてみたい!暖かい季節になったら遊びに来てください。山菜料理でお待ちしています。
                         
                             (平成16年3月8日 記) 
       

【1】
 
 連日の雪かきで、手、腕、腰がガタガタです。S23年生まれの私には、重労働です。あずさ館には、男はいないのか?女、子どもではもう限界です(・・);

 先日テレビで、電話もパソコンもない、岩手県の宿を放送していました。
遠野物語に出てくるまがり屋という馬屋と母屋が一つになった建て方の家に、世界中から手紙で予約が来て、年間200人ぐらいおいでになるようです。そこは特別に残っていった宿だとしても、35年前の乗鞍もそのような状況でした。
 私がはじめて乗鞍岳の肩の小屋にアルバイトに来た時のことですが、
関西の某短期大学の学園祭に日本各地の観光のパンフレットがあり、その中にとても美しい写真のパンフレットがありました。
乗鞍岳大雪渓とチシマギキョウの紫の花。夏に雪があり、スキーをしているなんて当時は驚きでした。まして、バスでそこまで行けるなんて・・・
友人たちと早速その山小屋に手紙を出しました。
何を書いたのかは覚えていませんが、多分そんな美しいところで働いてみたいというような事だと思います。
 返事は8ヶ月後に手紙で来ました。とてもうれしくてその時のことは、忘れられません。夏休みに友人と4人で、高山から入りました。
 当時、乗鞍高原の電話は、農協にある有線電話で、そこを中継して数件の宿に取り次いでいた状況です。肩の小屋は、夏だけ松本局の電話がありました。ゆったりとした時間の流れの中で、スキーをする人、静かに山を見ている人、ご来光を見に仲間たちと登ったり、空も山も人も赤くなる夕焼けに涙した・・・若者たちは、そんな乗鞍を楽しんでいました。
私個人といたしましては、そんな乗鞍が好きでした。

 何人かの友人が、その後も遊びに来たり、アルバイトに来たりしていました。その中の一人は、その山小屋の女将さんになりました。もう一人は、ペンションをしています。

                              (平成16年2月18日 記 )

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